【公式キャラ誕生秘話】「カギ猫小太郎」とは?モデルとなった愛猫のお話と、私たちが大切にしていること

いつも秀巧金属のブログをご覧いただき、ありがとうございます 。広報担当です 。

弊社のSNSやブログ、チラシなどでおなじみとなった公式キャラクター「カギ猫小太郎」 。

実はこのキャラクターには、私の人生を大きく変えてくれた「実在のモデル」がいます 。

今回は、カギ猫小太郎の誕生の原点となった愛猫・小太郎との出会いと別れ、そしてその想いから始まった私たちの社会貢献活動についてお話しさせていただきます 。

Q. 小太郎との出会いはどんなものだったの?

小太郎との出会いは、野良猫のお母さんから生まれた4兄妹の子猫たちでした 。

当時、母猫は避妊手術を行って地域に戻し(TNR活動)、4匹の子猫たちは保護することになりました 。

ところが、保護したばかりの小太郎はケージの隙間をすり抜け、なんと自分で窓を開けて部屋から大脱走!

ハラハラしながら捜索し、無事に再保護できたときには心からホッとしました 。

紆余曲折を経て、生後5カ月のときに我が家へ正式に迎え入れることに 。

私にとって初めて迎えた猫、それが小太郎でした 。

母猫と3匹の子猫が砂利の上で寄り添って休む様子

Q. 小太郎との暮らしはどんな毎日だった?

成長した小太郎は、身体はとても立派で大きいのに、性格はちょっぴり臆病でとびきりの甘えん坊 。

 

誰よりも私のことが大好きで、毎晩一緒にベッドで眠るのが日課でした 。

 

初めての猫との暮らしは、お世話も費用もすべて自分の力でやりくりしました 。

 

ある時、体調を崩して大学病院にかかった際には、ひと月で40万円を超える治療費がかかり焦ったこともありましたが、「この子の命を守れるのは自分しかいない」と必死でした 。

 

手がかかる分だけ愛おしく、私にとってはペットという枠を越えた、我が子のような大切な存在でした 。

大学病院の入院ケージで早く帰りたいと鳴く猫・小太郎」

Q. 小太郎の最期はどのような時間だった?

穏やかな日々がずっと続くと思っていましたが、11歳11カ月を迎えた頃、急性膵炎を患ってしまいます 。

入院治療を続けましたが、最期は病院から連れて帰り、いつも一緒に過ごしていた私のベッドで看取ることを選びました 。

ほんの少し私が手を洗うためにそばを離れた瞬間、歩くこともままならない状態だった小太郎が、私を探してベッドから降りようとして落ちてしまったことがありました 。

「最後の瞬間まで、一緒にいたかったんだね」と、小太郎の深い愛情を感じずにはいられませんでした 。

腕の中で静かに虹の橋を渡ったあと、私は激しい動悸や不安、不眠に悩まされ、深刻なペットロスを経験することになります 。

 

Q. ペットロスをどう乗り越えたの?

心療内科に通うほど落ち込んでいた私を救ってくれたのは、僧侶であり作家の塩田妙玄さんの活動や、保護猫たちの存在でした 。

 

「小太郎の代わりになる子はいない。次の猫を迎えることはできないけれど、命を繋ぐ活動を応援する形で猫たちと関わっていこう」

 

そう決意した私は、塩田妙玄さんが運営される保護猫の看取り施設への個人支援を始めました 。

 

さらに、保護猫活動をされている「ツキネコ北海道」様のカレンダースポンサーにも毎年参加しています 。個人としての支援はもちろん、企画広報として会社にも掛け合い、企業枠としても毎年継続してサポートを行っています 。



 

 

Q. なぜ「カギ猫小太郎」というキャラクターが生まれたの?

小太郎への想いを形に残したいと、最初は紙に手描きでスケッチしたのが「カギ猫小太郎」の始まりです 。

 

カギ猫小太郎のスケッチ画

その後、クリップスタジオでデジタルイラストへと描き起こし、現在の親しみやすい姿が完成しました 。

クリップスタジオで描いたデジタル画の小太郎

小太郎が教えてくれた「命の重み」や「誰かを守りたいという想い」 。

この出会いが、現在の「安心を守る」広報活動や、社会支援への取り組みに真っ直ぐ繋がっています 。

秀巧金属はこれからも、住まいの安心と温かい繋がりを大切にしながら、鍵や防犯、現場のさまざまなお困りごとに誠心誠意向き合ってまいります 。

これからも「カギ猫小太郎」ともども、秀巧金属をよろしくお願いいたします!

 

【まとめ】
小太郎との出会い、別れ、そして支援活動を通して、
私たちは“安心を守る”という理念を大切にしています。
この想いが公式キャラクター『カギ猫小太郎』に込められています。

「これ頼めるかな…?」の段階でも大丈夫です。
写真を送るだけで、交換できるかすぐに診断します

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